or my despair will kill me.

そもそも「魔法」って何でしたっけ?

いつの頃からか、僕はいわゆる「魔法」や「魔術」と呼ばれている何かに執着するようになりまして、その正体をあれこれ考えるのがライフワークのひとつになっています。

「本物の魔法を描きたい」。

それが執筆のモチベーションの根底といっても良いくらいに。

魔法を疑似科学的な法則体系で説明しちゃったら、それはもうファンタジーじゃなくてSFの範疇じゃねぇのかな、と。嫌いじゃないんですけど、どうにも違和感が残るというか、現実世界の歴史において過去確かに存在した、あるいは現在もひょっとすると存在する、「本物の魔法」への敬意に欠けるような気がします。

 

おおむね18~19世紀ごろを境に、この世界から魔法は急速に駆逐されていきました。かつて魔法と呼ばれたものの大半は、小手先の手品、単なる物理現象、あるいは統計学的にまったく無意味な迷信として次々に処理されていきます。

同時にそれは機械論的世界観による「希望の否定」でもあったのではないかな、と。

現代においてさえ、魔法や奇跡は救いを求める人間の最後の拠り所となっています。当時の世間に溢れる「魔法」は、その奇跡がひょっとすると実現するかもしれない傍証であり希望だったでしょう。それこそ、手品師のハリー・フーディニが、亡き母に会うために心霊術に傾倒したように。

しかし、その魔法が科学によって一つずつ潰えていく。

科学に疎い人々は、そうした世界の変化をどう感じ、どう受け止めていったのでしょう。ロマンをビンビンに感じます。

 

結局、僕が抱く魔法のイメージの原典は、子供の頃に読んだシンデレラの絵本に行き着きます。

深夜零時に魔法は解けて、一夜の甘い夢は終わりを告げたはずだった。なのに何故か、王子はガラスの靴を手掛かりにシンデレラを探し出し、物語は幸せな結末を迎えます。

なぜ魔法が解けたのに、ガラスの靴が残っていたのか。

それを科学的に説明しちゃうのは、ちょっと野暮いと思うのです。